前回では、韓国発のキリスト教異端・カルトの名前を列挙するに止まったが、そのリストを見るだけでも韓国ではキリスト教も盛んであるが、それに比例するようにキリスト教系の異端・カルトも隆盛を誇っていることが読み取れるであろう。
しかし数あるキリスト教系(と言うのも厭になるが)異端・カルトの王様は「統一協会」であろう。
統一協会は正式名称を『世界基督教統一神霊協会』と言うが、そのあらましは「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E4%B8%80%E5%8D%94%E4%BC%9A」を参照されたい。
彼等が一般の正統的なキリスト教とことなる教え・考えを持っているから異端なのであるが、それは凡そ次の4点に集約される。
統一協会のトンデモな聖書理解
①罪の根は、果物をとって食べたことではなく、淫行・淫乱が罪の根である。
②キリストの十字架は失敗である。(キリストはこの世に生きて、結婚すべきであった。)
③再臨なさるメシアは天から来るのでなく、人としてもう一度生まれてくる。
④再臨主が来られるのは、東の国・韓国である。
正統的なキリスト教の理解とイタン・カルトの考え方が如何に相違しているかの例として①の堕落論について、特に「果物をアダムとエバが取って食べる」辺りについて長くなるが統一協会 摂理(JMS) キリスト教の3つの立場の説明を引用しよう。
ホントに長いよ(^^;
1997年3月16日 月明洞での 鄭明析教祖の説教から
【罪の根は何か】
<キリスト教>
『聖書が教えている基本的なこと』日本同盟基督教団教育部 P38
「悪の知識の木は、人間が神の主権の下にあることを表現しています。 この木が「善悪の知識の木」と呼ばれたのは人間にとっての善と悪とは神が主権を持ってお定めになっているということを意味していました。 逆に言えば、「善悪の知識の木から取って食べるということは、「私には神などいらない。私は自分で自分の人生の善悪を決定するということです。」
<摂理>鄭明析
「今日は私が宗教的な罪の根元を捕まえるつもりです。キリスト教では神様が創造したものの内の、善悪知る木を人が取って食べたのが罪の根元だと言います。人間が果物を取って食べて罪を犯したなら、果物の農作をしてはいけないという結論になります。そして仏教や儒教や全ての宗教には罪の根元というものがあります。キリスト教では。だから誰かが罪の根本について問いただしたら答えられません。70年80年、教会に通っても罪の根元を知らないから罪を防ぐことが出来ません。・・」※※
※※JMSでは「誰も答えられない。」「70年80年教会に通っても罪の根を知らない」と教えているがそんなことはない。こんなことは、クリスチャンなら誰でも答えられることである。「漠然と信じてきた」これもデタラメである。はっきりと解っている。
<統一協会>原理講論 P92
「今まで人間の中に深く根を下ろし、休むことなく人間を罪悪の道に追い込んできた罪の根がいったい何であるか、この問題を知るものは一人もいなかった。ただキリスト教徒のみが、聖書を根拠として、人間始祖アダムとエバが善悪知る木の果を取って食べ、それが罪の根となったということを漠然と信じてきたのである。しかし、善悪を知る果が、文字どおり果実であると信じる信徒たちと、聖書の多くの部分がそうであるように、これもまた、あるものに対する比喩に違いないと信じる信徒たちが、たがいにその意見を異にし、それぞれに様々な解釈をしているだけで、今もってなお、これに対する完全な解明がなされていないというのが実情である。」
【取って食べるとはどういうことか】
<キリスト教>
※※旧約聖書(ヘブル語)の、「食べる」と「知った」という言葉は別の意味であり、「知る」は肉体的に一体となるという意味があるが、「食べる」には男女の肉体関係の意味はない。
<摂理>鄭明析
「また創世記3章の5節から6節のところで、女の人が取って食べたというのは男の人と性的な関係を持った事を意味します。女の人も同じで、男の人を取って食べたというのは、男と関係を持ったことをあの男の人を取って食べたと隠語で表現したりします。だから異性的な問題です。聖書にある通り、「目には美しく、食べるに良く、賢くなるに好ましい」と思ったから食べたのです。しかしキリスト教ではこれを果物と考え続けています。だからそのようにして一生を追跡しても人間とは関係ないことです。・・・創世記3章6節で、女の人が夫に与えて食べさせたということは、この女の人が先に他の男の人と関係を持ってから、結婚した夫とも関係したことを意味します。それはエバが天使と一緒に取って食べてから、また夫にも取って与えて夫も食べるようになったということです。例えば14・15歳の少女が異性に目が開け、男と関係を持ってから他の男にそんなことをしたら死ぬと言ったけども死なないんだよという話と同じです。」
<統一協会>
文鮮明の説教 (フアミリー1997年3月号 P18)
「取って食べるなというのです。韓国語では。「性関係を持つな」という意味で「取って食べるな」と言うのです。女性たちが男性を誘い込んで、関係を結んだのを「取って食べた」と言いますか?男性が女性を誘い込んで強制して関係を結んだことを(取って食べた)と言います。」
【『神観』 『聖霊論』】
「聖書」の聖霊論
ハイデルベルグ信仰問答 問い53
「聖霊」についてあなたは何を信じますか。 答え 第一 「この方が御父や御子と同様に永遠の神であられること。」第二 「この方はわたしに与えられたお方でもあり、真の信仰によってキリストとすべての恵みにわたしをあずからせ、わたしを慰め、永遠にわたしと共にいてくださる。ということです。」
テトスの手紙3:5 「神は、私たちが行った義のわざによってではなく、御自分のあわれみのゆえに、 聖霊による、新生と更新との洗いををもって救ってくださいました」
※※聖霊は三位一体の第三位格の神であり、人格を持った神である。
聖霊は「真理の御霊」「神の御霊」「助け主」・・・などの呼び名があるが、「母なる神」と呼ばれている箇所は一カ所もない。
<摂理>
鄭明析
「(創造目的の図表)この図表には地獄という言葉がなくなって、天国という言葉が出てきました。もともと天にはお父様とお母様がいます。キリスト教では天のお母様という話を聞いたらびっくりします。しかし、私たちは天のお母様がいないという話を聞いたらびっくりします。お母さんなしに人が生まれますか。それでは結局、男の人を土で造ったという話にしかならないんじあないですか。創世記から黙示録まで聖霊の話が沢山出てきます。聖霊様はお母様です。聖霊様が来たというのは、また聖神というのは女の人じゃないですか。天のお父様とお母様が愛によって霊魂を先に誕生させた後、肉体が誕生します。それでアダムとエバが誕生しました。アダムは神様に似てエバは聖霊様に似ております。彼らはそれぞれ神様と聖霊様のように成長していくのです。」
<統一協会>
「祝福と理想家庭・韓日対訳Ⅱ」(光言社)P57
「聖霊とは何でしょうか。母なる神です。・・・・」「イエス様がなくなられて後、五旬節に屋上の間で、百二十名の聖徒たちが集まり祈祷したとき、聖霊が降臨しましたが、この聖霊が誰かと言えば母なる神です。イエス様を父とするならば、聖霊は母なる神です。」「イエス様は新郎であり、聖霊は新婦です。・・・・」
ま、以上のような次第です。例として堕落論の箇所等をピックアップしましたが、JMSと統一協会の理解が類似していることにお気づきでしょうか?(^^)b
また、これらの異端・カルトの両者が正統的なキリスト教といかにかけ離れた理解をしているかご理解いただけると思います。
実はこれらのトンデモな聖書理解は統一協会の発明ではないのですね。
次回はそこらへん書きたいですね。
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